所在不明の高齢者関連のニュースが、頻繁に耳に入ってくる。
不明103歳:家族を捨て、地元を離れ…空白の60年(毎日jp 2010/9/10掲載)という記事を読んだ。
記事によると、生きているならば103歳の安田佐吉さんは、89年の消息を最後に、今も所在が不明なままだという。
その最後の消息というのも、安田さんが40年ほど身を寄せていた姉の家に住む、姉の娘、安田さんのめいにあたる人が残したもので、安田さんが家族の元を去ったのは、60年ほども前だという。
家族の元を去ったあと身を寄せていた姉もが亡くなり、80歳近くになり大工としての仕事もできなくなった後、安田さんは突然家を出た。
そして、現在も消息は不明なまま。家族は、安田さんはもう亡くなっている、と考えている。
ちょうど一週間ほど前、この記事とは逆の立場を見つめた記事を、朝日新聞で読んだ。
東京スカイツリー建設に作業員として5月まで携わったものの、「高齢者の作業は危険だ」とされ職を失い、現在は隅田公園で寝泊りをする、現在68歳の男性の話。
家族とは、もう3年も連絡が取れていない。
路上で空き缶を集め、10万円の預金を切り崩しながら公園で寝泊まりをして暮らす男性は、19歳になる娘の結婚式に備え、「呼んでもらえないかなぁ」と思いながらも、スーツだけは捨てられずにいる。
少し長いけれど、↓にそのまま引用。
五線譜
スカイツリー 元作業員の誇り
東京都台東区の隅田公園で寝泊まりする鷲尾正夫さん(68)は、大空に向かって日々伸びていく東京スカイツリーを毎日、見つめている。
「おれも、完成まで働きたかった」
日焼けした顔には深いしわ。5月までツリーの建設現場にいた。「高齢者の作業は危険だ」と言われ、その後は仕事が見つからずホームレスになった。
夜7時から明け方まで、路上で空き缶を集めて現金に換える。睡眠は朝9時から。昼間に寝るのは、着替えなどの生活用品を盗まれないためだ。わずかな収入と約10万円の預金を切り崩しながら食いつなぐ。
18歳から大工だった。かつては静岡県で建設会社を経営していた。多い時には従業員が20人越。妻と2人の子どもがいたが、12年前の離婚をきっかけに生活が乱れ、経営も傾いた。仕事を求めて上京し、建設現場で働くようになった。
元妻や子どもとは、もう3年も連絡が取れていない。気がかりなのは19歳になる娘のこと。結婚式に備え、いまもスーツだけは捨てられずにとってある。「でも、呼んでもらえないかなぁ……」
地べたをはうような暮らしの中で、高さ世界一のタワー建設に携わったのは、ささやかなプライドだった。
いつか。あのツリーを、娘たちと眺める日を夢見ている。
(田村剛)
2010年9月2日、朝日新聞朝刊
今年の夏は、本当に暑かった。
焼けるような日差しに、窒息しそうな蒸した熱気。
日陰で日差しは避けられても、蒸した熱気はどこまでもまとわりついてくる。
路上の生活では、この猛暑はどれほどこたえるものだっただろうか。
新宿を歩くと、ホームレスの人たちを数多く目にする。
西武新宿の駅前でたびたび目にする、一人の女性が、ずっと気になっている。
その女性は、腰から大きく前屈をした状態で、いつも駅前の決まった場所に、いつも決まった状態で立っている。
目には、眼帯をしている。
足元には、決まって大きめの紙袋が二つ。
彼女にも、少女の時代があって、娘と呼ばれた頃があった。
もしかして、結婚して、妻と呼ばれ、お母さんと呼ばれた頃もあったかもしれない。
だけども今は、こうして、ずっと同じ姿勢で、同じ場所に一人立ち続けている。
時折、彼女の姿を見かけない日もある。
そんな日は、どこかほっとする反面、まさか何かあったのでは、と、不安と安堵が入り交じって、彼女の姿を目にする日よりも落ち着かない。
所在が不明になっている高齢者が、必ずしも家を出てその後職がなくなり、ホームレスになっているとも限らない。
だけれども、所在不明問題も、ホームレスの問題も、また、高齢者を取り巻く様々な社会問題にしても、資本主義競争社会に生まれる、俗に言う弱者の上に、孤独の緞帳がそこかしこで降りているようで、一体何をどうしたらいいのか、しばし呆然としてしまう。
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